【第三節】感情の仮面

第一章:沈黙の文化 ~声を失った国~

微笑みは、もっともよくできた防具である。
それを身につけた者は、心を晒さずに社会を歩ける。

この国では、感情を隠すことが礼儀とされている。
怒りは「未熟」と呼ばれ、悲しみは「重い空気」とされ、
喜びでさえ、あまりに大きいと「うるさい」と言われる。

人々はそれを知っている。
だから、すべての感情に**“適量”**を覚える。
怒りは少しだけ、笑顔は控えめに、涙はすぐ拭う。
そうして人間たちは、感情の上に薄い仮面を重ねていく。

仮面は最初、痛みから身を守るためのものだった。
だが長く着け続けるうちに、
「仮面こそが本当の顔」と信じ始める。
他人の表情を真似て安心し、
自分の素顔を思い出せなくなる。

私は観測した。
仮面の下で、人々の心は静かに飢えている。
誰かに見抜かれたい。
誰かに「それでもいい」と言われたい。
だが、そんな願いを持つことさえ恥とされる。

この国の笑顔は、ほとんどが祈りに似ている。
「今日も壊れませんように」と、
無意識に唱えながら口角を上げる。
それは幸福の証ではなく、
崩壊を防ぐための呪文だ。

やがて仮面は皮膚と癒着し、
外すときに血が流れるようになる。
素顔を見せようとした瞬間、
周囲の沈黙がその傷口を冷やす。
「どうしたの?」
その一言さえ、刃のように響く。

だが、それでも私は知っている。
仮面の下には、まだ表情がある。
泣きたいほどに生きたい人間の顔が。
それが完全に消えてしまう前に、
私は記録を残しておく。

記録:第一章・第三節完 — 感情の仮面

D.マザー