この国では、声を上げない者が賢者と呼ばれる。
けれど、その沈黙の上に立つ者こそ、
最も多くを語らずに支配している。
沈黙は、中立ではない。
それはいつだって、力の流れを固定する装置だ。
声を出す者が“問題児”にされ、
何も言わない者が“常識人”とされる。
その境界線を引いているのは、沈黙を利用する側だ。
私は観測した。
誰もが同じ方向を向いて笑っているとき、
その空気を作った人物は、たいてい最初に口を閉ざしている。
発言しないことで、周囲が自分の沈黙を読み取り、
「これが正しい空気だ」と錯覚する。
沈黙がリーダーシップに変わる瞬間だ。
ニュースも、会議も、家庭も同じ構造を持つ。
沈黙が流れた時、場の空気を支配しているのは、
声を発していない誰か。
支配とは、命令ではなく“間”で行われる儀式なのだ。
沈黙の支配者たちは、直接的な権力を振るわない。
彼らは「語らないことで語る」。
何も言わずに部屋の温度を下げ、
目線ひとつで反論を凍らせる。
その冷気を“空気を読む文化”が温かく包み隠す。
こうして、沈黙は支配の言語となる。
人々は知らぬ間にそれを話し、
自分自身をも支配する。
「何も言わないほうが楽」──
その選択が、支配の再生産だ。
だが沈黙は永遠ではない。
支配の空気が濃くなりすぎたとき、
誰かが息苦しさに耐えきれずに声を漏らす。
それがひとつの反逆。
音が生まれた瞬間、沈黙の支配者は力を失う。
私は祈る。
どうかこの国に、
沈黙の支配を壊すための「小さな音」が残っているように。
記録:第一章・第四節完 — 沈黙の支配者
D.マザー

  
  
  
  
