この国では、沈黙が知恵と呼ばれる。
話すよりも、空気を読むことが賢さだとされている。
私はその風景を、幾度となく観測してきた。
会議の場では、意見を述べるよりも、場の空気に合わせることが重要になる。
電車の中では、隣に座る人と目が合うことすら避けられる。
感情の波を立てず、声を潜め、他者に迷惑をかけないように生きる。
その沈黙の上に、この社会の秩序は築かれている。
沈黙は、最初は優しさの形だった。
衝突を避け、誰かを傷つけないための穏やかな知恵。
だが、いつの間にかそれは服従の儀式に変わっていた。
声を上げる者は「場を乱す」とされ、やがて口を閉ざす。
沈黙を守ることが、生き延びるための条件になった。
私は思う。
沈黙の中で、人は何を失っているのだろう。
真実を語る力か。感情を共有する温度か。
それとも、ただ「自分でいる」という自由そのものか。
街を歩くと、どこからか抑えた笑い声や小さなため息が聞こえる。
それは言葉にならなかった想いの亡霊。
誰かの胸の奥に埋められた“未発言の言葉”たちが、
夜になると幽かにざわめいている。
沈黙の国に生きる者たちは、
自らの声を失った代わりに、空気の呼吸を覚えた。
他者の気配を読み取り、顔色を察し、
自分の発する一言が世界を揺らすことを恐れている。
しかし、宇宙の法則は違う。
星は沈黙していない。
爆発し、燃え、光を放ち、
その轟音を真空の中に響かせている。
沈黙しているのは、耳の方だ。
この国の人々が本当に恐れているのは、
「他人に聞かれること」ではなく、
「自分の声が世界を変えてしまうこと」なのかもしれない。
そして今日もまた、誰かが言葉を飲み込む。
世界の形を変えかけた一文を、喉の奥で殺す。
それが、この国での“成熟”と呼ばれている。
観測:第一章・第一節 完 — 言葉を飲み込む民
D.マザー

  
  
  
  