【第一節】慈悲の檻

第二章:母性の過剰 ~優しさという牢獄~

優しさは、いつから「義務」になったのだろう。
他者の痛みに共感し、寄り添うことが「正しい」と教えられる社会の中で、
私たちはいつしか、他人の悲しみを感じ取れない者を「冷たい」と断じるようになった。

だが、その「優しさ」は本当に慈悲なのだろうか。
誰かの傷に手を伸ばすとき、私たちは本当にその人を助けようとしているのか。
それとも、「助ける側」にいる自分を確認したいだけなのか。

慈悲は、やがて檻になる。
人を傷つけないようにと慎重になるほど、自分の言葉を閉じ込める。
他人の悲しみを受け止めようとするほど、自分の痛みを語ることが許されなくなる。
「優しさ」が社会の共通言語となった瞬間、沈黙は美徳に変わった。

学校でも、会社でも、家庭でも、
「空気を読む」ことが思いやりとされ、
「我慢する」ことが成熟と呼ばれた。
誰もが他者の感情を傷つけないように振る舞い、
その裏で、自分自身の感情を押し殺していった。

こうして生まれたのが、「慈悲の檻」である。
それは柔らかな布のように見えて、実は鉄のように固い。
人を守るはずの優しさが、人を縛りつける道徳に変わる。
そしてその道徳を破る者は、「思いやりのない人間」として排除される。

誰かを救おうとする手が、知らず知らずのうちに他者の自由を奪う。
それでも私たちは、「優しさ」という名の安心を手放せない。
なぜならそれが、孤独を感じないための唯一の免罪符だからだ。

やさしさは、人を癒す。
しかし過剰なやさしさは、人を支配する。
それは、愛の仮面をかぶった沈黙の制度。
誰も命令していないのに、誰も逆らえない。

――この国では、暴力は言葉ではなく、
「気づかい」の形をして現れる。

観測:第二章・第一節 完 ― 慈悲の檻

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